ホームスクーリングとは?現状とメリット・デメリット〜日本とアメリカの比較を通して〜

家庭学習

近年、ホームスクーリングという言葉が注目されている。不登校小学生(現在は中学生)YouTuberゆたぼんによって、日本でホームスクーリングというものが一般にも認知されるようになりました。
インターネット匿名掲示板「2ちゃんねる」創始者のひろゆき氏とゆたぼんの父である中村幸也氏が、Twitter上で端的にいうと「ホームスクーリングの是非」について議論を繰り広げていました(実際には議論とは言えないかもしれませんが)。
今回は、ホームスクーリングとは何かについてやその是非についても考えていきたいと思います。

ホームスクーリング(ホームスクール)とは

ホームスクーリングの定義

ホームスクーリング(ホームスクール)」とは、学校よりも家庭や地域に教育の拠点を置き学習を行うことを言います。

ホームスクーリングの長い歴史を持つアメリカでは、「親が子どもを学校へ通わせず家庭で自ら教育し、それが就学形態の一つとして認められているものである」としている。

この「学校へ通わせず」という文言は、親の意思によって子どもを無理に学校に行かせないという意味ではないです。

つまり、完全に学校に行かないというわけではなく、子どもの意思によって学校に行ったり、行かなかったりするということです。学校は教育を提供する1手段として扱われています。

アメリカでは、ホームスクーリングはすべての州で法的に認められていて、社会的な認知度も高いという状態です。

このことからホームスクーリングは、子どもの自己選択を尊重し、親や地域の大人が、家庭や地域を拠点に、学校教育を含む様々な教育資源を活用して、子どもの教育に積極的にかかわる教育のあり方の1つであることがわかります。

ホームスクーリングと不登校の違い

ホームスクーリングと不登校の違いについて考えていきたいと思います。
国立教育政策研究所によると、不登校は学校不適応対策調査研究協力者会議(平成4年)において、以下のように定義されたとしています。

何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)をいう。

不登校でキーワードとなるのが「子どもが登校しない、したくともできない状況である」ということです。
このような状況は、ホームスクーリングの状況と大きく異なります。
ホームスクーリングにおいては、「学校に行くこともできる」という学校教育も選択肢に入っているが、不登校においては、「学校に行く」という選択肢を何らかの原因で選択肢から除外されている状態であるということです。

また、日本において「不登校」という状況は、問題として取り上げられることが一般的です。この背景には、「学校に行かなければならない」という学校信仰の意識が顕在的・潜在的にあることが考えられます。
本来、不登校で問題となるべきは、「学校に行っていない」という状況でなく、「学校に行きたくても行くことができない」という状況であると考えます。
この状況を改善してもなお、子どもが学校に行くという選択を取らない場合は、ホームスクーリングと言えることができるでしょう。

また、「学校に行かなければならない」という意識があるおかげで、親・教員の態度等から子どもは登校しないことの罪悪感、劣等感、自己否定感などを感じる場合がある。

一方で、ホームスクーリングの場合は、そのような学校信仰の意識はあまりないため、そのような罪悪感等は生じにくいのです。また、倦怠感や無気力等による不登校に比べて、ホームスクーリングの子どもは自分の意思に応じた興味・関心により、主体的に行動しています。

ホームスクーリングのメリット

子どもに応じた教育ができる

ホームスクーリングの最大のメリットと言っても過言ではないでしょう。ホームスクーリングでは、子どものペースに応じて、子どもにあった方法で教育することができます。

日本の学校教育は、教育の専門知識を有する人がおり、カリキュラムが整備され、施設・設備が充実している等、学びの場としては機能的・効率的であるといえます。
しかし、現在の日本の学校教育では、1クラス30〜40人程度の児童生徒を1人の教員が受け持つという状況が一般的であり、子ども1人1人に応じた教育ができているとは言えない状況です。

この状況に対しての1つの解決策が、ホームスクーリングと言えるでしょう。
ホームスクーリングでは、子どもの特性・ペースに合わせて教育ができ、子どもに適した環境・方法で教育できるでしょう。

子どもが主体的になれる

ホームスクーリングでは、子どもの興味・関心に応じた教育を行うことができるため、子どもは楽しみ、主体的に行動できるようになると考えることができます。

日本の学校教育では、文部科学省が作成している全国一律の「学習指導要領」というものに従って、教育が行われます。もちろん教科書もそれに沿って作られたものです。
また、カリキュラムも学校によって子ども・地域に合わせて作るようされていますが、実際は本当に子ども・地域に応じて作られているとは思えません(あくまで主観です)。
また、実際の授業でも教育内容に子どもをいかに興味・関心を持たせるかについて考えており、子どもの興味・関心に応じたものとは言い難いでしょう(実際に授業で、子どもが興味・関心を持てば問題ないのですが)。
つまり、現在の学校教育の制度では、子どもが「したい」と思うものではなく、「させられている」状態の場合が多いのではないかと考えます。

不登校のい子どもの低学力が問題となっているが、これは学校に行かないことが原因ではなく、学校の実情が原因と考えられる事例もあります。
不登校の子どもの多くは、教科書、問題集、机などの学校にあるようなものを回避したり、大人の教えようという態度を拒否したりする傾向があります。しかし、卒業などにより、学校から解放されると学習を再開したという事例がいくつかあります。

ホームスクーリングでは、1人1人の子どもの興味・関心に応じた教育を行うことができるため、子どもは意欲的になり、主体的に行動するようになると考えられます。

子どもへのストレスが少ない

子どもに適した外的要因(生活環境、交友関係など)を設定できるというメリットがあります。
このことは、学校で起こりうる子どもへのいじめ、不良行為などの悪影響を限りなく排除できるのです。
つまり、子どもに適している、必要だと思われる環境を教育者で操作できるのです。

このメリットは時にはデメリットになることも否めません。
後述しますが、多様な人とのコミュニケーションを取る機会が減少したり、親の教育観にとても影響されるという可能性があります。

ホームスクーリングでは、子どもに適した環境で、子どもは過ごすことができるため、ストレスは少なくなると考えられるでしょう。

ホームスクーリングのデメリット

教育の質を担保できない

ホームスクーリングでは、親や地域で子どもの教育を行います。しかし、必ずしもその人たちがより良い教育をできるとは限りません。

教員免許の制度の意義を考えると、教育の質を一定担保するためであるとわかります。
つまり、学校では一定の教育に関する知見を持った人物が教育を行うということが保証されています。

一方で、日本においてホームスクーリングを行う場合、教育に関する知見の有無は保証されていません。そのため、時にはとても質の悪い教育を行なってしまうこともあるでしょう。

コミュニケーションを取る機会の減少

ホームスクーリングでは、学校というコミュニティとの関係が希薄になるため、コミュニケーションを取る機会が減ってしまうことが考えられます。

対人関係・コミュニケーション能力は社会に出るときに、ほぼ必須の能力であるため、この能力を育成するための施策をホームスクーリングではより一層考えなければならないでしょう。

他のホームスクーリングを行なっている家庭と交流するという手段もありますが、現状日本ではホームスクーリングを導入している数が非常に少ないため、現実的ではないでしょう。

思想の偏り

多くのホームスクーリングは家庭で行われる場合が多く、家庭教師を雇うにしても少人数で教育を行うことは間違いないでしょう。
そのため、親などの教育観が教育に対して大きく影響を与えることになります。もしその教育観が子どもにとって良いものであるならば問題ないのですが、子どものためとは思えないような教育観であれば、そのホームスクーリングは良い教育を提供できないでしょう。

学校に多くの教員が所属しているのは、教育観の偏りを防ぐためであることも1つの理由です(学校全体で思想が偏っている場合もありますが)。
学校教育では、良くも悪くも多様な考えを持つ教員がいるため、ある特定の教育観に偏らないように制度が作られているのです。

つまり、ホームスクーリングでは外部からの意見が入手しづらいため、教育観のブラッシュアップが難しいということが起こってしまいます。

ホームスクーリングの是非

これまで、ホームスクーリングのメリット・デメリットを整理してきました。
ここでは、ホームスクーリングの是非について考えていきたいと思います。
結論から申し上げると

現在の日本においてホームスクーリングは、行わない方が良い

と考えています。

ですが、学校に絶対に行くべきであるという考えであるわけでもありません。ホームスクーリングを効果的にできるのであれば、ホームスクーリングは教育のあり方として、とても良いものであると考えています。

ホームスクーリングの是非の争点は、「教育の場」ではなく「教育の質」です。子どもとって質の良い教育を提供できるか否かです。

アメリカにおいてホームスクーリングは、法的にも認められており、親や家庭教師という選択肢のみではなく、学校や学校以外の公的機関、支援団体も積極的に関わるなどホームスクーリングを行うための環境が整っています。
また、ホームスクーリングを行う家庭の絶対数が多いため、ホームスクーリング同士の交流や支援団体を通した交流など子ども同士がコミュニケーションを取る機会も十分にあります。

一方で、日本におけるホームスクーリングでは、ホームスクーリングを導入している家庭は非常に少なく、支援団体も十分にあるわけではないので、コミュニケーションをとる機会はほとんどの場合は少なくなるでしょう。
ホームスクーリングの子どもの方が、年齢・立場などが異なる多様な人たちと関わることができるため、社会に出た時のコミュニケーション能力を養うことができるという意見もあります。学校は、特定の教員・子どものみの関わりであるという指摘ですね。

この意見は、確かに真っ当なことを言っているように聞こえますが、現在の日本では現実的ではないかと思います。
日本においては、先ほど言ったように、ホームスクーリング同士の交流がほとんど図れないことや、未だに「学校は行くべきものである」という認識が根強いため、学校に行かないで外出していることに対して違和感を覚える人が多いため、人目をはばかり自由に外出できないという問題などがあります。
この「学校は行くべきものである」という認識を肯定しているわけではなく、「学校は教育の1手段である」という認識は広まるべきであると考えています。

このように現在の日本においてホームスクーリングを行うことは、メリットを活かしきれず、デメリットの影響が大きいことが考えられるため、行わない方が良いと考えています。
しかし、ホームスクーリングを効果的に行えるのであれば、良い教育を提供できる教育のあり方であるため、それを行えるための環境づくりは早急にするべきでしょう。

ホームスクーリングは、真の意味で子どもに応じた教育ができます。
このホームスクーリングが注目を集めているという現状は、現在の学校教育のあり方の変化の必要性を示唆していると考えることができます。
学校教育において、ホームスクーリングと同等の教育的価値(子どもに応じた教育)を提供することができるのであれば、ホームスクーリングの必要性は低くなります。

その中の1つに、学習を「させている」状態が顕在していることがあると思います。
つまり、決められた時間で・場所で・内容を、方法で学習するというところを見直す必要があると考えます。
現在の学校制度で、どのようにすれば「子どもにとって」良い教育を提供できるのでしょうか。学校制度そのものの変革が必要な時期が来ているのかもしれません。

まとめ

今回はホームスクーリングについてアメリカと比較しながら、日本のホームスクーリングの是非について考えてきました。
私の意見としては、現状ではするべきではないという判断ですが、皆さんはどのように考えるのでしょうか。
もしよろしければ、コメントを残していただけると幸いです。

参考文献

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